業界初の「講談動画専門レーベル(Kodan Video Label)」です。
谷町四丁目に専用スタジオを構え、旭堂南鷹を中心に南亰、南扇、南雲、南歩、南也、南喜に加え、玉田玉秀斎、玉山の7名が所属し、古典だけでなく時流の創作講談をはじめ、講談の可能性を拓くために様々な試みに挑戦しています。

講談の起源は六百年前ほど前の戦国時代

講談の起源は戦国時代(15世紀末頃〜16世紀末頃)の御伽衆(おとぎしゅう)とされています。
御伽衆とは君主の側近として高い地位を与えられ、君主に情報や知識を提供する役割を担っていました。
戦国時代の戦況なども語られるようになり戦術、戦略の知識としても用いられ、のちに戦記物として講談で語られるようになったとも言われています。
天下泰平の時代に入ると、御伽衆は次第に姿を消していきますが、戦がななったために職を失った武士たちが、辻講釈と称して道端で戦記などを語り聞かせるようになります。
これが、大道芸として認知されるようになり、物語は脈々と語り継がれ、江戸末期には大衆芸能として寄席小屋で演じられるようになります。
文明開化の明治に入り、「講釈」は新たに「講談」と呼ばれるようになり、全盛期を迎えます。
講談のネタを速記で書き起こした「講談本」が人気となり、数多くのネタが発売されました。
この講談本を作っていた出版社の一つが、現代も大手出版社として活躍している『講談社』なのです。
そこから時代が進むにつれ様々なメディアの台頭により「講談」の需要は徐々に低くなっていきます。そして、決定打となったのが第二次世界大戦の敗北です。
戦後の日本は、米軍のマッカーサー率いるGHQの統制下に置かれます。日本の文化まで徹底的に分析していた彼らは、戦記物や仇討ち物を得意とする講談に目をつけ、戦意高揚につながるとしてこれらの演目を全て禁止し厳しく取り締まったのです。
これにより多くの講談師が廃業に追い込まれ、釈場と呼ばれた講釈小屋も姿を消していったのです。
そんな中でも数少ない講談師たちは苦難を耐え凌ぎ、次代へ繋ぐために努力を重ねてきましたが、ラジオの普及に追い討ちをかけたのがテレビ。1963年の東京オリンピックを機に普及しはじめ、自宅に居ながら様々な芸を見ることができ、寄席小屋に通う人も減ってきました。
苦難の昭和を乗り越え、平成を耐え凌ぎ、そして令和。
講談師たちに一筋の光となったのが「神田伯山(前名:神田松之丞)」でした。
しかし、賛否両論は世の常で「伯山は邪道だ」という声もあれば「伯山には敵わない」と講談界の中からも聞こえてくる始末。
「芸が売れないのが講談師」と言われて久しいところに、自分流を貫いて世に名を知らしめた伯山は、すでに講談のスタンダードとして数多くの人に知られることとなったのです。

講談の新時代が到来する!

世の中は『講談師=伯山』の認識しかない今。
他にも講談師がいることを知らしめるためには「ネットの活用」しかない。との結論に至りYouTubeチャンネルを開設。
先行してYouTube配信をしている芸人たちを見ると、スマホで映像と音声を撮っているため、音は不明瞭、自宅で収録しているからいろんなものが映り込んでいる。
これじゃあ銭にならん!「動画の品質にこだわらなくてはプロではない」と考え、機材もいいものを。照明も必要。スタジオもいるなぁ。と突き詰めていった結果、
たぶん講談界初の『講談専用動画レーベル』として2021年9月12日に『上方講談谷四座』を創業いたしました。
場所は地下鉄「谷町四丁目」から徒歩5分。閑静な住宅地にあるビルの地下1階。防音、エアコン、換気、インターネット、高座、釈台。これに撮影機材が一式揃い、撮影・編集の技術者もいるなど、至れり尽くせりの環境です。
「講談師は講談で食べていける」ことを実証するために「動画作品のクォリティーを高め」「完成度の高い作品づくり」で、人々に感動を与えることで『売れる動画』になる。
これは講談師たちの新たな挑戦であり、世に講談の存在意義を訴える活動ともなるのです。

講談会のリクエストや講談会のご依頼も承っております。090-5662-6559受付時間 9:30 - 17:30 [ 土日・祝日除く ]

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